いよいよ、渡独の目的であるドイツのコスチュームジュエリーカンパニー"Seiboth"社訪問の日。
去年からコンタクトを取り続け、やっと現地での買い付けに至りました。
前回のブログはこちら→「ドイツ買い付け日記 プロローグ」
Seiboth社は、1952年にErhard Seibothによってドイツのカウフボイレンで創業されました。
彼は長年に渡りDior、Chanel、Yves Saint Laurentなどの有名デザイナーと共同制作も行い、ジュエリー専門歴史書にはSeiboth氏についても記載されています。
Seibothのコスチュームジュエリーは大量生産ではなく、卓越した技術を持つ職人により一点一点手作業で作られており、スワロフスキーを主としたハイクオリティな素材を使用。
現在も、高級ブティックやヴィンテージショップなどで愛され続けています。
この度、創業者Erhard氏の娘である二代目社長Vorbachさんに直接お会いし、Seiboth社の歴史や現在に至るまでのお話を伺いながら、買い付けをすることが叶いました。
Seiboth社訪問日の朝は、私が滞在するホテルまで、社長自ら車で迎えに来てくださいました。
カウフボイレンの町をしばらく走ると、周囲の緑に溶け込むSeiboth社が姿を現しました。
「Seiboth創業当時、この辺りは何もない森でした。」と話す社長。
会社の建物を取り囲むように沢山の草木が生い茂っており、当時の面影を感じさせます。
早速、社内へお邪魔します。
右側の女性の写真は、現社長であるVorbachさんが17歳の頃、Seibothのコスチュームジュエリーを纏っている写真。
彼女は子供の頃から、創業者である父に付いていつも職場に来ていたそう。
Vorbachさんは当時から会社が大好きで、彼女の兄弟が会社の継承に興味を示さない中、「絶対に継ぎたい!」と心に決めていたのだとか。
彼女は1989年、当時19歳の頃からSeiboth社で働き始め、1995年に25歳という若さで社長の座を継ぎました。
そんな彼女の父である創業者Erhard Seiboth氏について、貴重な資料を拝見しながら詳しくお話を伺いました。
書籍に掲載されているErhard Seiboth氏。
1952年にSeiboth社を創業したとき、彼はまだ21歳でした。
元々は金属工芸の職人だった彼は、15歳の頃に現在のチェコ(当時ドイツ領)から難民としてカウフボイレンに逃れてきました。
カウフボイレンには当時何もなく、ただ森が広がっているだけ。
住む場所さえなかったSeiboth氏は、両親とともにある人の家に住まわせてもらうことになりました。
Seiboth氏は、その家の庭にあった小屋の中で、職人としての腕を生かして仕事を始めることに。
当初資金がなかった彼は、米軍人が捨てていく空き缶を加工して、すりおろし機を作って売っていました。
その後、ヘーゼルナッツを使いブローチを作って売り始めると、その作品が大ブームとなったのです。
当時Seiboth氏が制作したおろし機と、ヘーゼルナッツのブローチ。しっかりした作り、美しいラインに木の実の温かみ・・とても素敵なブローチ!
やがて彼は、本格的にコスチュームジュエリーの制作に取り組み始めました。
当時コスチュームジュエリーの素材としてプラスチックを用いるジュエリーメーカーが多かった中、Seiboth氏は最初からスワロフスキーを用いることにこだわり、高級品としての作品制作に臨みました。
1950年代の彼の作品たち。
Seiboth氏のコスチュームジュエリーは、1950年代から瞬く間に人気を博し、すぐにDiorから声がかかったのです。
こちらが、Seiboth社が初めてDiorに販売したコレクションのネックレス。
ちなみにこの結晶風のスワロフスキーは、1950〜60年代にのみ生産されたもの。
やがてSeibothは、DiorのみならずChanel、Yves Saint Laurentなど名だたるデザイナーたちと仕事をするようになりました。
有名ブランドは、自社デザインをジュエリーメーカーに持ち込んだうえで制作依頼するのが常ですが、Seiboth社との取引の場合は例外も。
Seiboth氏のデザインが非常に優れていたために、有名ブランドが彼がデザインしたジュエリーをそのまま購入していく、ということが多々あったそうです。
Seiboth氏がデザインしたネックレス。
なんと彼はジュエリーデザインを習ったことがなく、自らの感性でデザインしていたそう。とても才能があったのですね。
ジュエリー専門歴史書には、Dior、Weiss、Max MüllerとともにErhard Seiboth氏の名前が掲載されています。
ちなみにSeiboth氏は、映画スターのソフィア・ローレンなどにも愛用されたジュエリーブランドの創業者Max Müller氏に、跡を継がないかと打診されたことがあるそうです。
Seiboth氏は、自らの感性を貫き続けたいから、とそのオファーを断りました。
一代で、コスチュームジュエリーカンパニーとして確かな地位を築いたSeiboth氏。
創業当初は自宅の地下に構えていた会社も、1970年には現在のSeiboth社の建物に移すことができました。
その頃には世界中に顧客を持つようになり、会社は連日、イギリス、フランス、アメリカ、韓国、日本など海外からのバイヤーで溢れていました。
中でも、アメリカ、日本との取引が最も多かったといいます。(Seiboth氏は日本が大好きだったそう。)
会社は大繁盛し、40人もの職人を抱えてもなお、ジュエリー製造が間に合わないほどでした。
ちなみに、Seiboth氏は当時から、子供を持つ職人に対して在宅勤務を許可していたそうです。先進的で、理解のある社長ですね。
また、スワロフスキーを主な素材として使用するSeiboth社は、最盛期にはスワロフスキー社からの買取額がドイツで二番目に多かったそう。
ある時、Seiboth社がスワロフスキー社の在庫をなんと10万個も購入したことがあり、その後生産が追いつかなくなったスワロフスキー社のクリスタルは、入荷が一年待ちとなってしまいました。
その間、スワロフスキークリスタルを求める他のジュエリーカンパニーは、Seiboth氏が持つ在庫から購入するしかなかった、という逸話も。
ここで、スワロフスキークリスタルを使用したSeiboth社のヒット商品を一つご紹介します。
こちらは、1981年にダイアナ妃が結婚した際にイギリスから「ダイアナ妃の婚約指輪と同じデザインの指輪を作ってほしい」との依頼を受けて、Seiboth社が制作したもの。
Seiboth氏は仕事の依頼を受けたその日に指輪のスケッチをし、エクスプレス便でイギリスに送ったそう。対応が非常に迅速・・!
14石のダイヤモンドに囲まれた、オーバルシェイプの12カラットのセイロンサファイアを、クリア、サファイアブルーのクリスタルで再現した気品の宿るリング。
当時のデッドストック品を実際に指に嵌め、プリンセス気分を味わわせていただきました。(こちら買い付けました。)
ここまで、現社長Vorbachさんにお伺いしたSeiboth社の歴史と、現在に至るまでのお話をさせていただきました。
次回ブログでは、職人さんが作業されている工房を含む社内見学と、Seiboth社のデッドストック品買い付けの様子をお届けします。
次回のブログはこちら→「ドイツ買い付け日記 DAY1-2」